塾?!
先日塾の合格発表があったようだ。
我が家では、3人とも塾というものには無縁で、受けることはないが、
わが娘の小学校では重大な話題のようだ。
発表の日たまたま友人の家にいると、そこの子のところへ、
帰宅後すぐに、その友達から「合格?何クラス?何点?」という電話があった。それからさらに、「○○チャンは○点で○クラスよ、△チャンは・・・」と続く。
その夜別のことで、電話すると、別の友人は、お母さんの方から
「××ちゃんどう?何クラスだたの?・・」と聞かれたらしい。
自分が受かれば、自分の子が受かれば、それでいいんじゃないの〜?
そういえば、今日小学校の授業参観の保険の授業で、思春期をやったが、
思春期というのは、ホルモンのアンバランスで、いらいらしたり、不安になったり、人のことがとても気になったり。。。。。。
んん〜じゃぁ人のことが気になるのは、仕方がないのか〜〜??
でも、まてよ、おばはんも、思春期・・・・ばっかな〜〜〜!!
だれが、どこで、だれが落ちて。。なんて入ればわかることなのにな??
友人が、「今時、いや、お姉ちゃんの時代から、塾に入れてないなんて、あなたのところくらいよ!強いわね〜〜」
おいおい、それってほめてるのかい?しかし、これは、まだいい。。
「あら〜お宅みたいに、よくできれば、塾にいかなくてもいいけど、うちなんて、おばかだから〜〜〜」って言いながら、我が家の娘なんかよりず〜〜っといい高校に行かれた娘をお持ちのお母様方。。。どっちが強いのか弱いのか・・・まぁそういう問題はどうでもいいことなんですが。
別に子供が行きたきゃ、行かせてもいいけど、だれひとり行きたい、と言うどころか、「学校から帰って塾でまで勉強なんて絶対いやだ」と口をそろえて言ってきた3人。それでも、長女が中3の時に,冬季講座というのに行ってみた、、効果があったのかどうかわからないが、本人は「別に行っても行かなくても同じだよ」という一言で、妹たちも、その言葉を信じてしまったようだ。塾の先生すみません、たかだか1ヶ月で結果なんて出ないでしょう・・・と言われるかも。
自分の子供のころを思えば・・・・・
親に進められて・・
まず、ピアノは、、3ヶ月ほどでやめて・・・、一応理由はある。体が小さく病弱だった私は、いくら鍵盤をたたいても、まともな音が出ない、出ないと先生は怒る、、怒られると余計、怖くて力が入らない、の繰り返しだったが、ある日
いやいや行っているときに、月謝袋をどうやら、逆さに持ってぶらぶらさせて行ったためか、中身を落としてしまったようで、またまたしかられて、探し回った。結局それがきっかけで、やめたいと言えた。
書道は、1ヶ月でやめて。。これは、初めて行った日に先生がめちゃくちゃほめてくれて、「自分はうまいのか」と錯覚をおこし、意気揚揚と次から通ったら、それ以来、ほめてくれることはなく、直されてばかりだった。ので、つまんなくなって、やめました!!?
そろばんは、これは半年ほど行ったぞ。。えへん。友達といっしょだったので、少し続いたのだが、足し算引き算、掛け算割り算、暗算、すべてやり方を習ったら、あとは桁数が増えたり、速くできるようになるために、同じことの繰り返し。。つまんなくなった。。。のでやめました。
そして、塾
これは、高校を2度も親の転勤で転校したので親は心配して、進学予備校に
入学させたものの、、1日でやめました。とにかく、塾の雰囲気がきらいで、
行くのいやだと、言ったら、親は何も言わず怒りもしませんでした。
でも、今思えば、高いお金を払った後だっただろうに、なんて娘なんでしょうね。
しかし、こんな私も続いたものが。。。
「日本舞踊」!!本当はバレーがやりたいと頼んだのに、やはり田舎だったのか、そんなものはなく、あきらめていたら。うちで私の面倒を見てくれていた
お手伝いさんが、「お祭りのときの踊りがとてもじょうずだったから、日本舞踊の先生見つけてきた」と言って、さっそく連れて行かれ、習うことに。
2年生の私でしたが、もう、踊りの魅力に取り憑かれ、やればやれほど、大好きになっていきました。
しかし、それも、親の転勤で、やめることになり、転勤先でさがしたところ、
同じ流派がない。。。仕方なく、それでもいいかと、行ったところ、、「ち・が・う」おどりが違う〜〜〜〜。
自分のやっていた流派は、七世家元は踊りの神様と言われたほど、舞台踊りとしては完成されていたし、たまたま新しい所で行ったのは、日本では一番人口が多い流派であろうが、どうも、お座敷踊りのようで、あまり好きになれなかった。自分にはなぜだかどうしても。。そうだ、先生が男で、しかもかまっぽかったのも敗因だった。それが4年生の時の話だが、結局1ヶ月位でやめた。
それからは、大好きな踊りはあきらめきれず、夏休みなどに前の先生に行っては、集中して習っていた。
その後、念願の京都に大学進学という名目で、行けたので、さっそく先生を探して、習いに行った。七世家元の直々のお弟子さんで、女一人その道一筋でやってきたお師匠さんだけに、とてもきびしかった。それがずいぶん勉強になった。しかし、日舞というのは、やはりお金がかかる。発表会も、南座でやる年は、かなりの金額がかかるので、見合わせて、歌舞練場でやるときだけ、ださせてもらった。それでも、20万はくだらないお金がかかって、親にずいぶん迷惑をかけた。そんなこんなで、続けたかったが、名取を取るということになると、また100万からのお金が必要ということで、そこまでは親に負担をかけることもできず、卒業と同時にやめてしまわざるをえなかった。
ま、その後娘が二人生まれてからも、あきらめきれずに、こちらでさがして、1年ほど習ったのだが、また、主人の転勤でやめることになった。
好きであれば、いつでもできるのだろうが、しかし、日舞だけは、少しお金がかかりすぎる。花柳幻舟さんの気持ちがよくわかる。。。
なんで、こんな話になったんだろう・・・
そうそう、塾の話だった。しかし、こんな勉強嫌いの私だったが、自ら家庭教師を頼んだことがあった。
前述のように私は小学校で1回中学で1回高校で2回という転勤転校を経験している。高校の時、田舎の受験校から、少し都会の一般公立校へ転校したとき、その高校が授業内容が遅れていて、入ったとたんに、上位だった。(あたりまえだろう!やったところばかりだったもん)。そして、前の高校にはなかった、修学旅行も経験でき、部活動も楽しめ、学校帰りには、スケートだボーリングだと、先輩や友人と遊びまくった。結果、1年後、またまた親の転勤で元居た地域にかえることになった。そこで転入試験を受けたら。なんと、落ちたそうだ。そうだと言うのは、、、その後母から聞いて知ったのだが。何せ遊びまくっていておまけに、遅れていた高校なので、習ってない問題ばかりで、やばいとは思った。その後母が、1年生の時、担任だった先生に頼んだそう、その先生は1年のときの成績を持って、校長にかけあってくれて、何とか入学許可になったらしい。全てあとから知った話だが、しかし、自分が前の位置でないと言うのはすぐにわかった。というのは、この高校は能力別にクラスを分けるので、自分のクラスが私立文型の最終クラスと気づくには、時間はいらなかった。しかも、最初の中間試験で、自分の数学の順位にがっくりときた。数学だけは習ってないことを自力でやるには、無理があった。母に家庭教師をつけてくれるよう頼んだ。地元の国立大学医学部の学生が来てくれた。この先生が実にユニークで、この先生でなければ、受験はできなかったと思う。いかにユニークかと言うと、しゃべらないのだ。1〜2時間の間であろうか、言葉を発することがあっただろうか・・いつも、ティッシュで鼻ばかりかんでいた。今思えば、花粉症だったのだろう。しかし、毎回手作りの問題を持ってきては、解かせる。できるまで、待っている。間違っていたら、もう一度やり直し。ヒントらしいものをくれたかもしれないが、とにかく、自分の力で解かせる。宿題も手作りのものをレポート用紙1〜2枚。それが、またむずかしい。1〜2時間かけて1問解く。解けたら、ものすごい達成感。解けないと先生にわずかなヒントをもらって、やりなおす。何で教えてくれないんだろう。と思いつつも、すでに、一人で解くことが快感になっていた。宿題にも1問何時間かけても、とこうとした。おかげで、期末試験で文型1位の98点を取った。それからは、自信につながった。先生の問題が楽しみにもなった。数学だけは誰にも負けないぞ、という自信をもらった。最終的に数学は10と9をもらった。先生のおかげだった。今の塾は最初から、全てを与えすぎるのではないか?時間が限られ、科目も多ければ致し方ないだろう。時間が許すならば、この先生のやり方は本当ではないだろうか。子供によるのかもしれないが。塾の先生には非効率的で、非合理的だと笑われるだろうが。
受験自体は、生物や日本史、世界史は、努力不足で結局追いつかなかった。国立にはかなわず落ちてしまった。先生は国立を、と期待してくれていたので、落ちたと言う結果を知らせるのが申し訳なくて、そのままになってしまい、それから会っていない。
でも、自分の行きたかった私立には入れたので、先生にはお礼を言いたい。先生のお蔭であると感謝した。のに、先生の名前すら覚えていない。ただ、先生が作ってくれたレポート用紙の問題の束だけは、今も自分の宝物である。
結局、私の場合、自分で求めたものは、力いっぱいできた。与えられたものは、いっさい成功していない。それが、自分の出した結論で、それはわが子にも当てはまるだろうと、かってに思ってしまっているのである。
本当に勉強したければ、自分から求めてくるであろう。しかし、なかなか、目覚めてくれる子はいないものだ・・・なぜか、自分の位置に甘んじている。悪くもなく、といって特別よくもなく、およそ平和に過ごしてしまったようだ。
勉強しても、知識なんて忘れてしまう。今の私も、過去のレポート用紙を見ても、ちんぷんかんぷんだ。だけど、あのときの努力とその努力が報われるという経験は、忘れない。それをいつも、娘たちに話す。やればやったぶん、報われる。それがどんな形であろうが、必ず結果は出る。またそう信じて努力しなくては、結果も出ない。
目的は、受験ではなく、高校でもなく、大学でもない。勉強のしかたであり、生き方であると思う。だから娘たちが、こちらに助けを求めてくるのは、勉強のことだけではなく、これから、あるのだろう。今は自分で満足しているから、何も求めてこないのだろう。いつか、何か目的ができたときに、それに手助けしてやれるように、準備だけはしてやりたい。
ある日突然塾に行きたいと言うかも知れない。大学後も、したいことがでてくるかもしれない。
そうは思いながらも、長女は、バイトに明け暮れ、次女は、実験、試験に追いまくられ、三女は日曜も1日部屋にこもって、ティッシュやお菓子の空き箱、トイレットペーパーの芯、と格闘してたり、姉の漫画家セットで、一生懸命何やら、創作活動に余念がない。
みな、もうしばらく、めざめそうにはないな・・・・
まぁ、よそさまがどんなでも、3人とも、みな気にならないのが、いいのか悪いのか、常に、今ある家庭に、自分に、満足しているんだろう。と思い、現状に満足できることは、ありがたいことだと話ています。「毎日がこうして楽しいのも、働き者の父と、明るくやさしい母のおかげよ」と、娘たちに暗示をかけながら、子育てをしているのです。ただ、少し現状に満足しすぎ〜〜なのかしら。それが、母と娘3人の、体に、肉となって現れてきているのが、少々心配です。
変な終わり方・・・・